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06.アクシデント編(10月21日)


犯行の舞台

 トラックの荷台に乗って移動すると少なく数えても三悪を被ることになる。

 一つ、猛進するから「突風」が発生し恐るべき砂塵があめあられと降り注ぐ。ふと気を抜くと数分で服のひだの上に砂が積もる。汗染みた顔面にも同情なしで戦国時代の雑兵みたいな顔になる。前方を向いて目を開けてたらきっと目にも積もる。もちろん、そんな愚を避けるべく多くの人は後頭部を盾にする。

 一つ、味わったことのない筋疲労がところどころに出てくる。未舗装の道は言わずもがな、舗装済みの道ですら所々に陥没があるのでトラック自体が狂気のダンサーのごとく上に下にシェイクする。ゆえに試みたこともない姿勢になりながら各々が体を支えようとする。同時に、そうはしながらも互いに他者の体を避けようとするので、骨格の限界を感じながら体勢の維持に努めることになる。それが筋疲労を生む。

 そしてもう一つ、これは上の二つに付随するとも言えるのだが、思考回路が寸断される。解体所へ運ばれる家畜豚みたいにすし詰めになった上に諸々の悪条件が寄りかかってくるのだ。困難を困難が後押しするような状況になると解決を図るよりはこの時間がわずかでも早く去り行くことを祈るほうに力が割かれる。何もなかった舞台に大道具小道具が持ちよられ始めた というわけだ。


容疑者

 トラックで僕の両脇に腰掛けていた二人について中立的な立場からその第一印象を語る。

 右隣(前方)。40前後の男性。競馬場からうなだれたまま出てきそうな風貌の持ち主。色で表すなら薄めの灰。存在感がないわりに不似合いな野望をもっていそうだった。

 左隣(後方)。50を超えるであろう女性。体力の衰えとともにすっかり角がとれ、これといった娯楽もないままに特に不満もなく習慣化したその日暮らしを続けていそうだった。

 その2人が進行方向左側に寄りかかっていた僕の両側にいた。走行中、男はたまに他の乗客とクメール語で会話するくらいで目立った行動はない。女はトラックの激しい揺さぶりを受け、時々僕の手足を掴んだ。老人愛護の精神ではないが、儒学を持ち出すまでもなく温情をもち、「困った婆さんだ」くらいに笑って何も考えずにそのままやりすごしていた。

 役者が揃った。演目が始まった。トラックを降りたとき、財布があるべき場所になかった。 その2人のいずれも、すでに視界から消えていた。


激昂

 国境付近の町・シソポンで腰を据えて財布を探す。カバンをひっくり返してあらゆる可能性を握りつぶしたがやはり財布はなかった。被害はUSドルだけを入れていた財布1つ。少なくとも90ドルはあった。でも、激痛ではあるが致命傷にはなりえない。落ち込んだがキレることはなかった。

 トラックの運転手とは今日の最終目的地であるシェムリアップまで7ドルという契約をしていた。すなわち、出発前に支払ったのが4ドル、到着時に支払うのが4ドル。ところが、「この町からは別のトラックに乗ってくれ。途中橋が壊れてて大変だったからここまでで7ドルだ。さぁあ、残りの3ドルをよこせ」。今の僕にこの発言である。キレた。

 「何でオマエに3ドル払わなきゃいけないんだ。シェムリアップまで7ドルといっただろうがこのバカ!オレはもう絶対に払わない。橋が壊れてた?それがどうした。オレはシェムリアップまで運んでもらうことの対価が7ドルという契約をした。壊れてたなら壊れてたでオマエが苦労するのは当たり前だ。オレの知ったことではない。だいたい、オマエのトラックに乗っててオレはスリにあったんだ。オレはもうオマエらのことは信用しないことに決めたんだ。一切オレにこれ以上関わるな。金は払わない。目の前から消えろ」。

 怒声を発した。しかも英語で。人間、キレるといつもと違うことができる。トラックの運転手は金銭交渉以外の英語は何もわからないことなど知らずに。

  シソポンからのトラックの運転手は英語ができるようで、頼んでもいないのに口を挟んできた。「彼はここまでの道でとても苦労したんだ。このまま帰るわけにはいかないのだよ。さあ、金を払ってオレのトラックに乗れ」。またキレた。「黙れ!そして、オマエのトラックには絶対に乗らないからオレに関わるな」。


急冷

 水を飲んで一息ついたが、トラック運転手はまだその場を去らない。多少冷静さを取り戻したこともあり、とにかくスリを思い出させるような要素はすべて排除することにした。まず、3ドル相当のタイ・バーツを払ってトラック運転手を目の前から消した。次に、一刻も早くこの地から去ることを最優先し、「オマエのには乗らん」と言ったまさにそのトラックに乗った。残念なことに、僕史上稀に見る英語スピーチの内容とは裏腹な結論に落ち着いた。

 今度のトラックは中国人旅行者も一緒でいささか心強かった。7時半頃にシェムリアップに着き、防犯性と安眠確保を考慮してこれまでで最も高い15ドルの宿に身を落ち着けた。飯も食べずに布団に入った。
 

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