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11.NPO訪問編(10月28日)


ウドンへ

 バッタンバンからプノンペンに移動した翌日、特定非営利活動法人のワールド・ビジョンが支援活動をしているウドンという地域に向かった。日本を出る前からかなり無理を言ってお願いした結果、1日だけながら訪問することができることになったのだ。

 もはや慣れつつある悪路を1時間半ほど走りウドン地域に到着した。今日1日案内してくださるセアさんと挨拶を交わし、早速活動の現場を見せてもらうことになった。


幼稚園と学校

 まず、幼稚園に連れていってもらった。教室にあるものは黒板と椅子くらいで、物が溢れている日本の幼稚園とは見た目からまるで違う。それでも字を習うことができる。数を数えられるようになる。歌うことができる。それらは今まで満足にできなかったことだ。

 幼稚園に入る前の子供たちが外から羨望のまなざしを向けていた。そのまなざしがある限り、支援活動が終わっても幼稚園から子供たちの姿は消えない。

 続いて小学校へ。直前に幼稚園を見ているからかもしれないが、学校は建物がかなり立派に見える。教科書とノートを広げて先生の話を聞く姿は日本の学校と何も変わらない。生徒はみな襟のついたシャツを身につけていて、ここが貧困地域だということを忘れてしまいそうなくらいに整然としている。

 「教育を受けていない子供が将来親になったときに、自分の子供に教育が必要だとは考えない。学校に行く暇があったら働け、という親になる。だから無理矢理にでも教育環境を整備して習慣化させないといつまでも教育が軽視されるんだ」。それゆえにこういう支援活動においては教育が非常に重視されている。


食糧増産への取り組み

 食糧事情が安定しないことにはこの地域は自立できない。その意味で、支援活動における最重要課題は食糧を安定的に確保できる仕組みを根付かせることだと僕は考える。この地域での食糧に関する2つのプロジェクトが印象に残った。

 1つは牛の糞を用いた堆肥農法だ。牛は支援活動の一環でたくさんこの地域にもちこまれているのでそこらじゅうに糞が転がっている。今回の旅に出るまで牛の糞を見たことは一度もなかったがその大きさには驚かされた。バレーボールくらいはある。それを集めて藁をまぜて肥料にする。この地域の肥料が底をつくことは考えられない。なにせ材料は非常に豊富だ。

 もう1つはため池での養殖だ。実は隠れた苦労があるのかもしれないが「池さえ掘ってしまえば放っておいても魚が育つ」とセアさんは言う。「魚は二束三文だけどわずかな金もここでは貴重だし塵も積もればということになる。それにここでの食糧にもなる」。この地域の人々は大切なタンパク源としてほとんど毎日魚を食べるらしい。

 それに、カンボジアという国ではどちらかというと水害が多いが、この地域では干ばつの被害を受けることのほうが多いそうである。ゆえに緊急時の水がめとしても池の意味は大きい。


 家を訪問

 ある子供の家に招待してもらった。親族が何世帯か集まって暮らしているのだが、「外国人が来る!」というのを耳にして他からも子供たちがきてくれ、みるみるうちに30人くらいになった。ヤシの実ジュースとバナナをご馳走になりながら自己紹介をしたり日本の話をしたりした。何十人という老若男女を向こうにまわしての話だったので一つ一つの発言に対する反応が大きくやや気恥ずかしかったが、それでもすごく耳を傾けてくれていた。あるいは手に入る情報の少なさが彼ら彼女らの好奇心を旺盛にしているのかもしれない。


オリエンテーション

 セアさんをはじめとするNPOの職員の方々から活動に関するオリエンテーションを受けた。教育と食糧以外にも保健衛生の充実や指導者となる人材の育成などの活動目標があるという。それぞれの目標はことごとく理に適っていて、異論を挟む余地はなかった。

 だが、一つ気になることがあった。確かにこの地域は支援活動によってあらゆる面で潤うだろうが、それが他の地域の住民の嫉妬や悪意につながるのではないかという懸念だ。 例えば最貧地域に支援の手をさしのべることで二番目に貧しい地域より豊かになったらその地域の住人はどう考えるだろう。

 一NPOができることにはもちろん限界がある。実際に目にするとできることが本当にわずかであることがよくわかる。支援の恩恵を授かることができる人の数は悲しくなるほど少ない。だからどうしたって不公平は生じる。途上国に限らず世の中とはそもそも不公平なもので仕方がないといえば仕方がないのだが、それでもこの不公平を黙殺してはいけない、この地域の支援の成功だけを見て満足して帰るわけにはいかないという意識を強く持った。
 

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