10月19日 広州〜成都


武侯祠にはこんなのがおびただしく並ぶ
金銭価値って何だろう 30元の宿と観光地

 今後ずっとそうなのだが、R君は朝の目覚めが早い。僕は極端に遅いほうなので早起きされてガサガサ動かれると甚だ迷惑なのだが、10日間の旅程を考えるとそうも言ってられない。昨日は疲れ果ててシャワーも浴びずに寝てしまったので、R君は朝からシャワー。僕が目を覚ました頃にはえらくサッパリしていた。僕もシャワーを浴び、その後外に出て朝食をとるつもりだったがそんな時間はなかった。10時半の飛行機だったので8時には宿を出なくてはならない。朝食は近くのセブンイレブンで中華まんとコーラを買った。僕のより少し安いのを買ったR君の中華まんは中に肉が入っていなかったようで相当お冠だった。タクシーを宿まで呼んで空港を目指す。

 宿の人が「タクシーで40元(約640円)ほどだろう」と言っていたが、本当に40元で驚きつつ空港に到着した。今日乗ることになる飛行機は四川航空なる航空会社の飛行機らしい。聞いたこともない。でもここまできてしまった以上は覚悟を決めて乗るだけだ。搭乗前の検問は靴も脱がされる厳重ぶりだったが何事もなく通過できた。空港の中には申し訳程度に店が軒を連ねていたがろくなものを売っていない。官能短編小説みたいなのが満載の雑誌がやたらたくさんおいてあった。官能小説かどうかくらいは漢字を見ればわかるのだ。退屈な待ち時間を経て搭乗口に行ってみると中国人民の乗客が多かったので、「これが四川航空に対する信頼の証し」と無理矢理自分を信じ込ませ、深呼吸をしつつ搭乗した。エアバスの小型機だ。

 何だかんだ心配していたわりには離陸直後に就寝。おかげで熱望していたおしぼりを貰い損ねた。着陸のときは再び若干のプレッシャーを感じたが無事に着陸。これがまた絵に描いたような着陸で一安心。四川航空はなかなか安心できそうだ。これまた心配の種だった荷物も無事受け取って成都の街を目指す。空港の外には雲霞のごときタクシー運転手が待っていた。「ここからのバスはない。オレのタクシーに乗るしかないんだ」と盛んに勧めてくる。だが、こういうのはタイで慣れっこだ。難なくバスを見つけ乗り込む。1人5元(約80円)だったかな。とりあえず「安い」と思ったことだけは確かだ。

 成都市内に到着。昼時だったので僕は昼飯を所望したが、「そのまえに旅行会に行って三峡下りの船のチケットだ」と言うR君の正論に跳ね返された。とりあえず目に付いた零細旅行会社を訪ねる。中国ではなぜか同業者が群れる傾向があるように感じていたのだが、その法則どおりに旅行会社が3軒並んでいる。とても好都合なのだが、どれも陰湿なオフィスで一抹の不安は隠せない。とりあえず3つのなかで一番暇そうにしていたところに様子を伺いながら入ってみた。なんと英語が喋れる人がいる。ありがたい。英語で比較的スムーズに進んだ交渉の結果、22日の夜に重慶出発の船が最も早いということだ。できれば21日に乗りたかったが、入手が困難と言われる三峡下りであることを考えると22日なら御の字である。それに、僕達が熱望していた「安さ」がその船にはあった。1ヶ月前に三峡を下った人は4万円ほどかかったということだったので内心脅えきっていたが、この船は270元。5000円にも満たない。2泊3日の船でこれは買いだ。「申し訳ないが3等席しか空いていない」と言われたが、むしろそれを望んでいたので、当然承諾。これで最低でも「三峡下り」はできることになった。ついでに、船の終着地・宜昌の宿も2人80元(約1050円)で確保してくれた。計算外なほどに物事がうまく進んだ。

 さて飯だ、と思ったら次は宿探し。成都は自転車でまわることが決定していたので、荷物を宿に置かないことには始まらないという論理だ。またも僕の食欲が満たされぬまま歩き回らなくてはならなくなった。成都では有名だとガイドブックが主張する安宿・交通飯店を目指して歩く。20分くらい歩いて到着し、部屋を見てみる。1人1泊30元(約450円)だから仕方がないのだが、お世辞にもきれいとはいえぬ。でも、眠れそうにないほど不快な感じは受けなかった。ただ、トイレとシャワーのほうがやや問題だ。もちろん共同だし、もともと臭いがキツイ上にどうも僕の鼻に合わない香を焚いているらしく嗅覚的にかなり不愉快である。しかしながら安値には代えられぬという判断が優先され、ここに荷物を置いてさらに自転車を借り、武侯祠へ向かった。

 成都は三国時代の蜀の都として栄えた地であり、逆にそれ以降は歴史の表舞台に立ったことはないといっていい。ゆえに現代とて成都といえば三国時代、成都といえば劉備であり孔明である。従って、三国志好きの我々でなくとも成都の観光地といえはなんといっても武侯祠だろう。特に今回の旅行のテーマのひとつに「三国志旧跡巡り」がある我々が逃すはずもない。ところが入場料はなんと30元。今日の1泊と同じとはとんでもない。だが入らねば後にどれほど後悔することになるかわからない。2角(約3円)を払って自転車を道路脇の駐輪場に止め、入場する。ここには、蜀将の像が所狭しと並んでいる。おお!張飛、おっ!孔明、という感動はないわけではないのだけれど、それ以外になにも湧いてこず、そこまでで終わり。終わってみれば、ただただ意味もなく何の歴史的価値もない像を見せられただけなのだ。三国志を知らぬ人が訪れたらキレてしかるべきだと思う。三国志をよく知っている人だってキレそうになるのだから。

 これまでは「とにかく武侯祠」という意識が空腹を忘れさせていたが、大したことのなかった武侯祠への失望とも落胆ともつかぬ感情が冷静さを呼び戻し、もう耐えられないとばかりに食事を渇望する。いよいよ食事の検討が真剣みを帯びてきた結果「成都といえば麻婆豆腐」ということになり、麻婆豆腐発祥の地として知られる「陳婆さんの麻婆豆腐屋」という店に向かうことになった。僕は辛いものが苦手なので本場の麻婆豆腐への挑戦はあまり乗り気でなかった。しかし、せっかくだからちょっとくらい舐めてみようかという気持ち、辛くないメニューもあるだろうという判断、そしてもはやなんでもいいから飯を食わせろという空腹、この3点が僕を首肯に導いた。思えばここまで、かなりR君のペースで旅が進んでいる。眼前に妙に仰々しい陳さんの看板が現れた。特に有名店というオーラもなく、麻婆豆腐以外にもかなりスタンダードなメニューから並ぶ。麻婆豆腐店としてのプライドはあまり高くないようだ。ただ、麻婆豆腐は噂どおりの辛さで、日頃冷静を装うR君があれほどの汗をかいている姿を見るのは前にも後にもこの一度限りであろうと思われた。おとなしく炒飯中心で攻めた僕の判断は紛れもなく正解だった。ちなみに、この麻婆豆腐屋は本舗ではなく支店にすぎなかったことを後で我々は知ることになる。

 こうして遅い昼食を済ませた後、他の観光地にも足を運んでみたが既に閉門しているところが多く、おとなしく宿に帰ることにした。途中、「昭和中期の遊園地ってこんなかな」と思わせる施設があったので寄ってみる。電気を必要としているにも関わらず電気の供給される仕組みが破壊しつくされていそうな乗り物がじっと出番を待っているようであったが、もう未来永劫そんな機会はないように思えた。それより印象的だったのは男子便所で、それはまさに壁以外の何物でもなかった。というより、壁以外に何もないのだ。あれほど簡易な工作物を未だかつて目にしたことがない。場所柄をふまえたらカメラに収めることはどうしてもはばかられた。残念である。

 宿の食堂でカシューナッツと豚肉の炒め物などを食べたら、もう眠くなってしまった。宿にインターネットができる設備があったので自分のHPに日記を書き込んだあと、トイレも風呂もできる限り足を遠ざけたかったのであとまわしにして寝てしまうことにした。この汚いベッドでは風呂に入ろうと入るまいとたいして変わるまい。