10月20日 成都〜楽山〜成都


大仏に比べれば人間なんてゴミみたいなもの
世界遺産か近代資本か 大仏とマクドナルド

 朝、目を覚ますのが憂鬱だった。例のシャワーを浴びなくてはならないからだ。トイレとの間を隔てる壁は天井に到達しておらず、低濃度ながらシャワーにもトイレの臭いが蔓延している。石鹸でも撒きちらそうかと思ったが、それよりは迅速に用を済ませてすばやく出るほうが賢明だ。でもR君にそれほど嫌がる素振りが見られなかったことを考えると、僕は少々神経質に過ぎるのかもしれない。朝食にトーストが出てくるあたりに、この宿がヒッピーというかバックパッカーというか、とにかくそういうカテゴリーの人間をターゲットにしていることがよくわかった。目だってうまいパンではなかったし、まだパン食に飢えているわけでもなかったので、それは腹を埋める以上の役割は果たさなかった。

 その後、まだ2日しかたっていないのだが洗濯にとりかかる。同じ宿に連泊するチャンスなんてそうそうないので、朝のうちに干して行きたいのだ。持参の洗剤「アタック」の小袋を開け、外の水道でジャブジャブ洗う。原始的だがそれ以外に方法はない。洗剤は使いきりを想定して作られたもののようだが、僕とR君の洗濯物を合わせてもやや余りそうで、自然と一つの洗濯物あたりの洗剤の量が多くなった。だから濯ぎが大変で、いつまで濯いでもぬるっとした感じが残っているような気がして困った。外に干してもよかったが旺盛な警戒心が邪魔をしたので、持参のロープを使って部屋中に隈なく干し、あとは半日後に乾ききっていることを期待するのみとなった。

 バックパックを置いていけるので今日は荷が軽く、成都から少々足を伸ばす上でとてもありがたい。それにさすがは「交通飯店」、すぐそばに長距離バスのターミナルがあり、崖に彫られた大仏で知られる楽山へのバスも容易に確保できた。三峡下りの日が遅れたために急遽決まった楽山行きだったが、他の予定よりよっぽど予定調和的だった。広州入り以来やたらと口にしている600mlコーラのペットボトルを握り締めてバスへ。ターミナルには豪華絢爛なバスたちが今や遅しと出発の時を待ち構えていたが、我々を待っていたのは流行らないスイミングスクールの送迎バスのようなものだった。この仕打ちにもまた妙な予定調和を感じた。

 バスは高速道路をひた走る。半分ほど残ったコーラが温くなったころ楽山に到着。2.5時間くらいの乗車だった。タクシーで河までは達するが、大仏は河の向こう側なので船に乗らなくてはならず、仕方無しに船に乗る。全く英語が通じず乗船までに困難を極めたというのに乗船客は西洋人を始めとする外国人ばかりだ。30元(約450円)もすればそりゃ仕方あるまい。「これだけ金を取るなら1人くらい英語のできる人を置けよ」と思う一方で、外国人向けの物価の高さを肌で感じる。しかしながら船から拝む大仏は圧巻であり、そこには充分な価値があった。例えばベイブリッジがそうであるように、これも遠巻きにみなくては本来の凄味が理解できないものだろうと思われた。世界遺産という名に惹かれてやってきたのだが、たまにはそういうミーハー的なものの選び方も大切である。もしこれが世界遺産でなかったら「大仏?鎌倉で見飽きたよ」と一蹴していたかもしれない。

 大仏のある側にたどり着く。ここは楽山という名の通り山に囲まれた地域であり、また同時に楽山という名に違い歩くのは至難な地である。大仏を見る前に山中を歩き回って一汗かいたところで昼食をとることにした。山中の小集落といった様相だが、ここもまた食堂が集っているので比較の上で検分できる。ところが検分しようにもどの店も大した差がない。どの店の前にも必ずといっていいほど汚い洗面器みたいなものが置いてあり、その中に魚が閉じ込められている。そんなものを見せられては、大仏云々よりその魚を賞味することのほうがよほど重要である。はやる思いに身を任せ、なんとなくすぐに料理が出てきそうな、つまりストレートな物言いをすれば閑散とした店を選んだ。当然興味は洗面器の魚なのだが、いくらここが中国といえど値は大いに気がかりである。尋ねると1匹30元。2人で500円にもならない。即座に魚を指差し肯いて見せた。店のオヤジも我々の意思を了解してくれたようだった。あんまり辛くされても困るので「不辣」とメモに書いて見せるとそれもすぐに了解してくれた。2年間中国語を勉強しておいて「辛くするな」程度のことも喋れぬとは情けない。当然その魚を待望していたのだが、出てくるのは他の料理ばかり。散々焦らされたあとに、メインディッシュとして魚が出てきた。うむ、うまい。「不辣」の2文字が効いたのか、期待を裏切らない味に舌鼓を打った。

 腹が埋まると俄然元気を取り戻し、大仏へと向かった。大仏の頭を下に見るところからはじまり、大仏の脇に設置されている、ビルの非常階段程度の細い階段を1列になって順に降りていく。ここを歩くと大仏の大きさをいよいよ実感する。耳の大きさからすでに半端ではない。そして足元に到達しそこから見上げるとこれまた仰天だ。人の背丈が大仏の足の甲にも達しないではないか。ちなみに、大仏の足の甲に昔は登ることが出来たそうだが、今は世界遺産ということでかなり厳重な保護の対象となったらしく禁止の旨が書かれていた。

 さて、成都に戻ろうと成都の地図を広げていると、妙なオヤジたちが寄ってくる寄ってくる。何かを売りつけようとしているんだと思って例によって悉く無視していたのだが、どうもしつこさが尋常でない。むしろ、口説けば必ず落ちるという確信をもっているようであった。あまりの熱心さに少し耳を傾けてみると、「オマエ達は成都に行くんだろう?成都行きのバスがここから出ているんだ」ということをなんとしても伝えようとしていたらしい。なるほど、地図を見られて成都に戻ることがバレたからかくも熱心だったのか。長距離バスの発着点まではかなり距離があったので、ここから成都に出てもらえるとこちらとしても結構ありがたい。明らかに不法営業であったし来るときのバスにあった保険もないが、大仏のすぐそばから出てくれる上に成都の街中まで行ってくれ、さらに来るときのバスより車の質はいい。こんなにすばらしいものをよくぞ勧めてくれた。さっきまでいっぱいの嫌悪をもって眺めていた男たちが類を見ない人格者のように思えてきた。そして2時間強の睡眠の後に成都に到着。無事なのは言うまでもないし、街に繰り出すに随分と都合のいいところで下ろしてくれた。成都は軸になる大通りが市の中心部から放射状に出ているので地図を見れば非常に位置がわかりやすい。夕刻には難なく市街に至る。

 市街で何と言っても目立つのが「伊藤洋華堂」だ。日本で馴染みの名前を聞くと妙に心が安らぐ。地下に食料品と食堂、1階と2階に衣料品等々、3階より上に電化製品、玩具その他といった配置だ。そこらへんはなんとなく日本のデパートに似ている。基本的に中国の店はどこもとんでもなくトイレが汚いが、ヨーカ堂ならある程度期待できるかと思って入ってみた。だが、完全に期待はずれですでにしっかり中国流に染まっていた。ちなみに、ここで唯一買ったのはミニ四駆だ。中国の富裕層の子供の間でかなり流行っているらしく、店側もかなり気合を入れて販売しているようだった。「汗血馬」なるいかにも中国らしいものを一つ買った。35元(約550円)だからかなり贅沢な玩具と言っていいだろう。それでも洋華堂はかなりの賑わいを見せていた。どの国だってそうだろうが、金はあるところにはしっかりあるのだ。ちなみに、日本製電化製品も豊富な品揃えを見せていたが、値段はほぼ日本の水準と同じである。中国人が秋葉原でお土産用の電化製品を買っていくという話を耳にすることがあるが、いまいちその目的がわからない。

 ふらふらと街並みに沿って歩いていると、成都の5つ星ホテルが目に入った。さすがにここのトイレはキレイだろうということでそれを借りようかと思ったが、門衛が睨みをきかしていたので少し躊躇した。でも、まあ止められたらやめればいいやと思って門をくぐると、門衛は申し訳ないほどに慇懃な敬礼をしてきた。仕方がないのでブルジョワジーのごとき顔をして通り過ぎ、フロントを避けるようにしながらトイレに向かった。この判断は我ながら大英断であり、どうせなら2、3日分の用を足しておきたかった。ある意味、中国に着いてから一番リラックスできた瞬間だった。出て行くときもなおその門衛は腰が低かった。

 映画をやっていた。かなり注目の映画のようで随所にポスターが見受けられたのだが、そのタイトルは「私の妻は18歳」。一体どういう映画なんだか…。「高校教師」みたいなものかな、などといろいろ無駄な推察の末、あまりにも安いし、せっかくだから観てみようかという話になった。でも、その映画を最後まで観ると夕飯にありつけるか微妙だったのでやめることにした。そのときになってようやく食事の心配をし始めたが、少し遅すぎた。四川のもう一つの名物である坦々麺を食べるはずだったが、坦々麺どころかほとんどの料理屋が営業時間を既に終えていた。もはやマクドナルドしか開いていない。21元(約320円)でポテトとコーラのセットを食べる。21元も出したらどんなに美味い中華料理が食べられただろうかと後悔するのはやめにしよう。世界遺産の大仏と資本主義の象徴的な生産物であるハンバーガーを同日に堪能するというのも悪くないではないか。

 市街から宿までは歩くにはやや距離があったので、自転車の後ろにいわゆる人力車のような客席をつけた乗り物に乗った。どちらかというと重たい我々2人を乗せたひ弱なオヤジの足は非常につらそうであったが、彼の動きには仕事にありつけた喜びを感じた。いや、これは罪悪感から逃れるための思い込みかもしれない。8元ということで交渉が成立していたが慰謝の意をを込めて10元渡したので許してくれ。宿に着くも、疲れ果てた我々には驚くばかりによく乾いた洗濯物を取り込むのが精一杯で、またも風呂は後回しにして眠りについた。