10月28日 香港〜成田

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香港の表層だけ嗅ぎとりとうとう帰国

 目を覚ますなり外出の用意を整え、荷物だけ預けてホテルを出る。15時までしか香港の土を踏むことができないのだ。凝縮スケジュールがスタートした。

 まず訪れたのは廟街。別名男人街。その名の通り、男物を中心とした屋台が暑苦しいくらいに密集していることで有名なのだが、嘘のように閑散としていた。まるで、留守中に焼き討ちにあった自軍の陣を目の当たりにしたような気分だった。あるはずのものが突如姿を消したような。きっと、時刻が遅くなれば活気を取り戻すのだろうと思われる。つい先頃まで何かがあったような雰囲気は間違いなくあった。立つ鳥が濁した跡のようなものが何もないはずの通りに感じられるのだ。

 今度はその対照といえる女人街。こちらはその道の両脇に極めて東南アジア的な屋台が密集している。まだ午前中だったが屋台はすでに五分咲きといったところだ。バンコクの屋台が夕刻になってようやく開きだすのとはその点で大きく違う。だが、置いてあるものは大して変わらない。基本的に偽ブランド品が多く、服飾品はもちろん時計や玩具などその種類は実に多岐にわたる。こういう冗談みたいなものに反応するのは僕よりR君の担当で、あっちへこっちへ駆けずり回っていた。僕は「スラムダンク」のキャラクターがプリントされているTシャツを1枚買ったきりだ。でも、時刻が早いこともあってか人通りは少なく、商人との交渉がじっくりできたのは収穫だった。その手間を省いた結果、商品とともに価格を表示するという日本ではあたりまえのシステムが生まれたのであろう。売買が圧倒的に楽で簡便となった反面、かつてほどのエンタテインメント性を帯びなくなった。

 その後、R君の熱い希望でアンティークショップ街のある荷季活道(HollywoodRoad)というところに向かった。僕ははっきり言って全く興味がなかったが、別行動をとって適当な時間に合流できるとも思えず、最後の最後に再度妥協することになった。またも香港島に地下鉄で移動する。再び中環駅で降り、しばらく動く歩道に乗るとその通りに差し掛かる。ところが、通りを一本間違えているのではないかと思うほど骨董品の店が見当たらない。たまにその手の店があるのだが、覗いて見るもR君が買うには値が2桁違う。それでも見ていれば彼なりに楽しいのだろうと退屈な思いに耐えていたが、彼の希望にもあまり適わなかったらしい。確かに香港では有名な通りなようでR君のことは責められないが、短い滞在時間を大いに棒に振る結果となった。

 気がついてみるともう昼だ。「最後くらい」という発想は今回もあったがそれを許す時間的余裕がなかった。いかにも大衆的な店に入って適当に注文したら、取り消したはずの料理まで運ばれてきてしまった。「これは注文を取り消したではないか」とこちらも徹底的に否定したが、店員は「絶対に自分は間違っていない」という態度を覆さない。ここが日本なら絶対に屈しないところだが広東語でまくしたてられてはどうしても劣勢に立たされる。字面どおりの「飽食」状態になったが意地になって腹に詰め込んだ。ただどうしてもタニシだけは一々爪楊枝でほじくり出すため時間がかかり、食べきることができずテイクアウトということにした。タニシのテイクアウトとは無理な注文かと思ったが今度は店員が快く承諾してくれた。さすがにタニシのテイクアウトは初体験だ。

 空港までは行きの反省を活かして電車を用いるのをやめ、バスで向かうことにした。幸い、荷物を預けていたホテルのすぐそばにバス停があったのでそこで待つ。約20分おきに運行しているようだ。やって来たバスは2階建て。いよいよこの旅の運も総決算といったところであった。当然2階席へ。街中では2階建てバスの威力が存分に発揮された。地上では見えなかった何かが見えたような気がした。だが、最前列でなかった以上、高速に乗ってしまうと何の力も発揮しなかった。34ドルくらいの運賃、空港まではおよそ40分。

 空港では残った香港ドルを大放出すべくいろいろな店をまわったが、大放出するほどの余剰資金がなかったために絵葉書とか香港の雑誌といった程度のものしか買えなかった。しかしさすがは国際空港、ここで久々に日本語の新聞に出会った。昨日と一昨日、日本で行なわれた日本シリーズで巨人が2連勝したことを知る。2日遅れて知った結果に歓喜するとともに、3戦目以降の熱き応援を誓った。いよいよ日本に帰るのだ。

 最後に一波瀾残されていた。離陸直前になっても僕らが飛行機に向かわなかったために乗務員が便の名前を書いた紙をもって走ってきた。それまでのんびり歩いていたが乗務員の鬼気迫る形相に震え上がり飛行機まで全力疾走することに。しかし、荷物が重かったとはいえ、ハイヒールを履いた女性の乗務員の疾走についていけないとは。同じような困った客のために相当鍛えられているのだろうな、と感じる余裕をもてたのは離陸より随分後になってからだった。搭乗直前に飛行機のチケットを見せたときも係員のほうが慌てていて、我々に渡すべき半券を間違えて回収してしまった。おかげでこちらの手には珍しい半券が残った。

 飛行機はまたも単調でつまらない。そろそろ飛行機が僕にとってアトラクションでなくなってきているのかもしれない。機内で食べるつもりだったタニシも全く食べる気にならず、やむなく降りるときに座席に放置した。成田に着き、帰りは京成―京急のルートで帰る。帰りの電車でもなお会話が弾んだのは腐れ縁を根から腐らす旅行ではなかったことの証拠となるであろう。

 久々に帰った我が街には、いつものどおりの時が粛然と流れていた。数々の思い出だけを残して、再び僕は日常に合流した。