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08.アンコール遺跡編・前編(10月23日)


払暁

 前日にバイタクと1日契約を交わしていたのでアンコールへはそれに乗っていくことになっている。「夜明けのアンコールワットを見ないなんて考えられない。5時に迎えに来るぞ」という運転手に従って早起きした。アンコールワットまではバイクなら20分ほどで着く。途中でアンコール遺跡共通1日券(20ドル)を買って夜明け前のアンコールワットに到着した。

 「夜明けのアンコール」発言は誇張ではないようで、すでに大勢の観光客が日の出を今や遅しと待ち受けていた。コンパクト性を極限まで無視したようなカメラが溢れている。毎朝毎朝熱烈な視線を浴びてアンコールワットも大変である。

 西から眺めているのでワットの後方から朝日が射してくるという仕組みなのだが、いかんせん雲が多くほのぼのと明るいため山頂のご来光のようなありがたみはない。それでもカメラマンたちは必死の形相だった。


アンコールトム

 不親切な地図を見るとアンコールワットよりも大きいように思えるアンコールトムだが、大きいのは城壁で囲まれた範囲だけで建造物の大きさはアンコールワットにはるかに及ばない。城壁がアンコールワットの北方に一辺3kmほどの正方形を描く。その中心に有名なバイヨン寺院がある。

 当然ながらクメール様式という点ではアンコールワットと同じでさすがによく似ているが、ここは何といっても顔の彫刻が特徴的である。塔状の部分にはどこにでも人面が彫られているので近くで見ると不気味なくらいの大勢が一度に視野に飛び込んでくる。こうなってくると顔あってこそのアンコールトムである。

 その他にも城壁内には建造物があるのだが、顔のインパクトを凌ぐようなものはない。ガイドブックの扱い方にも地元の人の態度にもやる気が感じられない。アンコールトムの価値はバイヨンのレリーフがその大半を担っているといっていいだろう。


タプローム

 アンコールトムの西にあるタプロームは発見当初から遺跡の修復をしないという方針で保存されている。だから、建物から崩れ落ちた巨石が散乱している。榕樹が「世界遺産、何ほどのものぞ」と圧殺せんばかりにそびえる。

 そのせいか「NO ENTRY DANGER !」と看板が騒いでいる。何かの拍子に崩れ落ちてくるかもしれないのだ。

 その廃墟然とした姿には他の遺跡にはないオーラが漂っている。それは事実だ。建築史に造詣が深い人は「アンコール遺跡群のなかで最も興味深い」という。情趣のわかる人間を装う連中もまた「タプロームにはなんとも言えない味わいがある」と口を揃える。僕にはどう考えてもアンコールワットのほうが壮大で圧巻だと思うのだがね。

 しかしながらアンコールワット、アンコールトムに次ぐ集客力を誇る遺跡であることは間違いなく、遺跡内には伝統音楽の楽団がひっきりなしに何かしらの曲を奏でている。僕がその前を通ると「さくらさくら」が聴こえてきた。そういうサービスにはチップを渡すというのが暗黙のルールのようであったが、それが押し付けがましい雰囲気があることに嫌気がさして素通りした。


戦慄の物売り

 客の集まるところに商いあり、これは千年の理である。とりわけアンコールは局地的に集客力が高く、その上遺跡内での商売は遺跡保護の観点から地域が限定されているので、店が集まる場所における競争は苛烈さを極める。

 バイクから降りて歩き出すと子供らが駆け寄ってくる。手には絵葉書や民芸品を携えて「こんにちは。1ドル、1ドル、安い」みたいな感じで日本語を交えて物を売ろうとする。まともに相手にしていたら話にならないのでマスコミ嫌いの野球選手みたいに払いのけながらその場から逃れるしかない。

 だが、スラスランという「聖なる池」は店の群に近く、その池を眺めているとそこまで子供たちが着いてきてしまう。悉く「NO」と跳ね除けるのにも疲れてきた。だが、何か買うにしてもどの子から買えばいいのかわからない。それに、1人から買ったら他が黙っているはずもない。が、ある1人の子が僕のカバンについているキーホルダーに興味をもった。その話をきっかけに四方山話をしていると、手に持っていた腕輪をプレゼントしてくれた。そうなるとその子の店で何か買ってやらないとという気持ちになる。「キミの店にコーラはあるの?」と聞くと、そのこは肯き、嬉々として自分の店に走って行った。大抵どこの店にも民芸品からビールまで何でもある。

 すると勘の鋭い別の子が主張する。「オマエはさっき要らぬと言った。なのにあいつから買うとはどういうことか。騙したな!」。騙したつもりなど毛頭ないが怒気に圧倒された。続けざまに「こうなったらもう1本買え。運転手のために」。運転手に対しては決して快く思っていなかったのでそれはなしにして、「わかったわかった。じゃあ水を買う」。結局コーラも水も買わされた。僕の負けだった。しかし、結局売りつけることに成功した2人の子供の戦略は大いに示唆に富んだものであった。
 

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